まどマギ『叛逆の物語』思う事。

感想を書く時期は外した気がするけども…どうしても思った気持ちを書き留めておきたいなーという思いから更新してみる。
とはいえ、感想をきちんと書こうと考え出す度に手が止まります。
合わせて思考も停止します。

どうしてこうなるのか、ひとえにほむらの考え方やまどマギの世界観に共感したり浸りまくりで、ままならなくなるのでしょう。
別に小難しい用語も何もないのに。
未だにラストシーン思い返すだけでうるっと来るし。

私の中では新編は、間違いなくTV版や前・後編と違ってハッピーエンドだと思える位はあの結末を受け止めています。
ただ、どうしても1人で抱え込まなきゃいけなかったのかい?
…と思ったりもするし。
彼女の性格上、『誰にも頼れない』だろうし。
私も誰かに助けを乞うより、自分で何とかしようとする側だしなぁーと。
つまり、キャラの性格に沿った話にするとああなるしかないんだな、と。
月並みな言葉で申し訳ない。

巷では、続編作る為にねじ曲げられたとか、TV版を台無しにされたとか言われてるようですが私はそうは思いません。
ほむらの性格なら突っ走るしかないじゃないですか。
それと新編を観た事により、疑問が生まれたし。
果たして、まどかが自分を犠牲にした事は正しかったのか?、と。


世の中的には、大勢の為に何かをしようとする行為を美談に思う風潮があるんですよね。
まどかの場合、魔法少女たちを絶望のまま死なせないという行動なのだから、美しい考え方ですし崇高ですよね。
でも、それって自分を大切に思う人の手を振り払ってまでする必要があるのかなって思います。
ほむら以外にママさんの手も実は振り払ってるんですよね。
振り払ったとは言葉が悪いですが、まどかを大切に想う気持ちを無にしてるのは確かだと思います結果だけ見ればね。
まどか自身はそうは思わないでしょうが。
これ言うとまどかの願い尊重派から『それは違うよ』とかばっさり言われそうな気がしますね。

確かにまどかの願いは素晴らしいです。
魔法少女たちの願った希望が否定されない世界(ルール)を作りあげた訳ですから。
けど、その為に取ったまどかの行動はほむらを救わなかった。
それが前作の答えだったのだと思います。
TV版でもあれだけ感動的なBGMを流しつつも、やっぱり一生懸命な努力は報われない事を示してた。

それは当然でしょう。
まどかの願いとほむらの願いの性質は違うものです。
だから(TV版含む)前・後編としての結末。
新編の結末となる訳です。

性質が違う願いなのだから、条理にそぐわない願いに当たるのではと私は思います。
条理にそぐわない願いは歪みを生むとキュゥべえは語ってました。
聞いてないのにベラベラと喋ってくれました有難う。
その歪みこそが、まどかとほむらが本来の姿で一緒に居られない現実なのではないかと。


私が願う結末は…そうですね。
例え殴り合いになっても構わないから、お互いしっかり話しろよ!と、そんな感じです。
いくらお互いを思い合ってても、会話にならなきゃ意味ねぇー!な訳で。
願わくは、円環の理二柱制になれば良いなと。
まどか1人に責を負わせないで済むし、ほむらはまどかと一緒に居られるし。

もちろんそこにたどり着くまでが大変なんだろうけど。
そこは他の魔法少女たちに協力して貰えばいいと思う。

誰か1人が犠牲になる事で作られる平和は歪みを生むものです。
そんなのは魔法騎士レイアース2(漫画版)で答えが出てるじゃないですか。

どうか、まどかやほむらが犠牲にならないで済む『希望』と『未来』が訪れますように。